44年01月26日 夜の御理解



 今日伊万里の上野先生が参ってきてから、小学校の先生です。4、5人子供達の色々な火傷をしておった子供の、お願いしておったのがおかげを頂いたとか、こういう癖があったのが段々おかげ頂いていきよるとか。というような自分の教え子の中に、いろいろなそのう必ずお届けがあるんです。火急な時には電話でお届けを頂きます。本当にあのうあぁして信心を持った先生に教えて頂くということは、本当にあのうまぁ有形無形の中に、おかげを頂くなと私は思わせていつも。思わせてもらうのですけれども。
 その中に非常にあのう人間はおとなしいけれども。学校が出来ないという、二人の子供の事をお届けしとりましたが。いくら教えても教えてもそのう分からないという訳ですね。だからあのう分かっておるからあのう様な風にしておるから、立てて見ると知らない。そんならどこが分からないかというと、分かっていない事すらが分かっていない。ですからどうにもしょうがない。神様のおかげを頂かなければどうにもしょうがありません。というてお届するんですけれども。
 信心なんかでもそうじゃないでしょうかね、毎朝あぁして御理解頂いて、もう三年にも五年にも十年にもなるという人達が。もう分かっとらなければならない筈の事が分かっていない。いや分かったようにしているから、分かっているかと思うと実際は分かってはいない。そしてどこが分かっていないかすら自分で分かっていない。本当にせっかく信心の稽古をさせて頂きながら、本当に何を勉強させて頂きょるのだらう。ここには信心の稽古に通う所とおっしゃるが。
 どこを稽古して帰りょうるんだろうかと思う様な事がありますがね。ところがそんならなら私自身の事でもそりゃ言えます。今朝からの御理解の中に、御理解の中にこのう育つとか育てるとかいう事について頂いたね。子供を育てるとこういうけれどもね、もう本当な事は自分が育てるのじゃない、神様が育てなさるのであって、私共はそれのお手伝いをさせてもらうだけだと。ところが私共の場合は神様がこう育てござるのを、横から邪魔にななるような育て方をしている様な事があるから。
 本当な事を私共は分からせて頂いておるのですからね。例えていうならお野菜一本作らせて頂くでも、私が作ったというけれども私が作れる人があるかと、神様のおかげを頂かなければ出来る事じゃないね。種を蒔かせて頂いても芽をきったね、そういう働きもみんな神様ね。伸ばして下さるのも花を咲かせて下さるのも、稔らせて下さるのも神様。只それが花が咲く様に、又実が稔る様に又虫がついておったら、虫を取らせて頂く様なそのう働きをするのが人間であって。もう本当な事は神様が育てて下さるんだと。
 そこを分からせて頂いたらどうぞお育てを頂いておる。その事に私はそのお邪魔にならんような、信心をさせてもらはなければいけん。言うならば植物でいうならば肥料のやり過ぎでね、で例えば枯らす様な場合があるかも知れん。そういう様にそのうこれを綺麗に育てようという親だからね。その願いやら思いをもっておるんです。また自分の野菜ですからよりよく育てようと思う事がです、却って枯らすことになったりする様な事。そこの根本的な本当な事を分かっていないから、そんな結果になるんだとね。
 まぁ本当な事についちゃ合楽でこれは絶対、例えばいろんな例をいくたも頂いた中にです、今日は特にそのう育てるということについてあのう頂きました。ですからこの今日は本気でひとつ。あのう例えば子供なら子供でも、自分が育てるのじゃない神様が育てて下さる。そのお育てを下さる、神様の働きの邪魔にならないような生き方とは、生き方はどういう様な事かということにまぁ焦点をおいて。今日は信心の稽古をさせて頂こうということであったんですが。まぁ私自信もそれに取り組ませて頂いて。
 そしてですね本当にこういう様な思い方やら考え方やらは、返って神様の働きを邪魔する事であろうと思うて気付く事もあるけれども。第一気付く事はね取り組んでみて分かる事、今まではさっきの話じゃないけれども。そのう分からない所すら分からなかった、まぁいうなれば劣等生とでも申しましようかね、出来の悪い子共がですね分かっている様にしとるから尋ねてみる分かっていない。ならどこが分からんのか教えるからどこが分からんのかと言うと。その分からん所が分からないという。
 それに取り組まないからなんです。今日の私の場合なんかもそうである。分かってない所がすらが分かってない。取り組んでみてようやく分からない所が分かってきた。こりゃようあのう算数なんかを致しますでしょう。分かっているようであるけれども。実際自分がならそのう応用問題なら応用問題を説いてみるとです、分からない所にぶっつかる。だからそこを質問する、そしてそこが分かって行く。だから取り組んでみなければいけない、取り組む事によって分かってない所がすらがあった事に気付かせて貰って。
 そこを分からせて貰う。本当に私は思わせて貰うのに、人が育てるのじぁない子供じゃない信者じゃない、これはね私自身が育っていないからだという事に気付かせて貰うね。私が育つ以外にはないのだという様な結論が出て来たのですけれどもね。取り組ませて頂かなければそれこそ分からない事すら分かりませんね。れを取り組まないと十年も二十年も、もっと沢山な年限一生分らんなりで、分からん所も分からんなりに、お終いになってはしまう様な事ではつまらんですからね。
   どうぞ。